ファンキージャム・ストーリー ニュージャック編 第1話

ダンスはどこから

今、多方面で踊られているダンスは1980~1990年頃のダンスが多いのです。

とりあえず80年頃の六本木時代のディスコの話から始めます。この頃にファンキージャムを開校することを決めたのは、クラブで踊るディスコダンスが一般的になってきたからです。

ディスコの語源はおわかりのようにフランス語と言われています。このようなディスコの流行は世界中の大都市にあったのでしょう。

ディスコの内容を書く時に常に話題になるのはニューヨークのマンハッタンです。なぜならダンスのルーツはニューヨークのマンハッタンと信じられているからです。

私もニューヨークの住人、バッテリーパークにて。

でも良く考えてください。マンハッタンにダンス上手の黒人やブレイクダンスの子供達は住んでいますか?

すでにこの頃には、ブロンクスの子供達がマンハッタンでブレイクダンスを見せて小銭を稼いでいたらしいですから、子供達も見せれるくらいは練習していたのでしょう。

ブレイクダンスなど流行のダンスは、マンハッタンのクラブでショーに使われていたので、マンハッタンが発信元になってしまうのではないかと思います。

それに、映画「サタディナイト・フィーバー」の影響からソウルトレインのダンスパフォーマンスがアンブラップのダンスと思われているのも間違いの一つなのです。

ではアンブラップダンス(ソウルダンス)はどこからでしょう。その頃にも多くのアンブラップダンスが生まれているのですが、マンハッタンで踊られているのは疑わしいでしょう。

ソウルフルに踊るダンスが白人や観光客の多いディスコでは生まれないし踊られないでしょう。たとえ誰かが踊っていても、ダンスを知らないとわからないと思います。

アンブラップのダンスは、見る人に同じ位のダンス能力がないとわからないからです。ダンスは一日にして成らずです。親や友達の真似だけでは足りないのです。

アンブラップの若者の多くが失業状態でしたから遊びに行く余裕もありません。行き場のないアンブラップの就職先が軍隊なのです。

詳しくはわかりませんが若者が40歳過の20年以上兵役をすると年金が出るそうです。これまたよくわかりませんが、それから勉強して大学などへ行き学歴や資格を取る人が多いそうです。

当時、ニューヨークでは、若者の多くが仕事がなくてラップやグラフティ、ダンスなどでヒップホップしていたそうですから、遊んでいる人ほど就職難だったと思います。

それにブルックリンやクィーンズに住んでいるアンブラップが一度もマンハッタンに行ったことがないなんてこともあるのです。

橋を渡ればマンハッタン

彼らの多くが会話の文章の終わりに単語が入ります。若者の流行り言葉で最後にシッの単語を入れるのです。そんな若者の多くが軍隊へ行きました。

軍人のレクレーションはスポーツにダンスです。だから日本にも多くのダンス上手がいたのです。それがアンブラップダンスの多くの発信元の一つが米軍基地ではないかと思う理由なのです。