ファンキージャム・ストーリー ニュージャック編 第5話

アンブラップダンス(ソウルダンス)のメッカへ

ダンスの情報は交流が多い人ほど正確です。それも、できるだけダンス上手な人で、誰よりも先を目指す人でないといけないのです。

ヒトミはジェスパで有名でしたから来店してると見ているのですが、なかなか踊りません。数日踊らない日が続き、あきらめかけた時にブラザーと踊るのを見てから声をかけました。良くあることらしくオヤジがナンパしてきたと思われ無視されました。そこでアゴヒロシや友達に紹介してもらったのです。

彼女はメビウスのころからダンス上手でしたし、横浜や横須賀基地では友人のマユミと共に知られていました。

マユミ(左)とヒトミ(右)

ヒトミは横田のAさんのようなブラザーのスタイルではなくシスターのダンススタイルで、その頃にはすでに完成されていました。シスターが真似をする位のダンス上手です。それにファッションのエキスパートでしたから、アドバイザーとして女性友達も多かったのです。

何故、そんな面倒なことをするのかと言うと、誰もがダンスレベルが高い人と踊りたいのでアンブラップのダンス上手が集まるからです。それに基地のクラブに入るにはエスコートしてくれる軍人か米国籍の人が必要で、ダンス上手のブラザーにエスコートしてもらうと一石二鳥だからです。

その頃の基地のクラブは横須賀基地内ではなく汐入駅近くのEMクラブ(旧日本海軍下士官兵集会所)を使用していました。踊り場が広く基地と離れているのでの人気でしたが、トラブルも多くかったのです。それが理由か老朽化なのか?しばらくして基地の正門脇にクラブ・アライアンスとして移行されました。

解体前のEMクラブ(Enlisted Men's Club)

クラブ・アライアンスはレストラン、ゲーム場、クラブなどの施設で1983年に基地ゲート横に新設され、1階のダンス・クラブは入場制限ができるほど人気でした。プロモーションビデオが普及してからはビデオDJのクラブもできました。

昔からアンブラップダンスは基地のクラブや基地周辺のクラブでなければ見ることができなかったのです。最新を知るには情報の早い横須賀基地のクラブは必須だったのです。

東京や横浜など都会のディスコやクラブでブラザーがいてもダンスは期待できません。ダンス上手なら基地のクラブでシスターと踊れるから都会へ行く必要がないのです。彼らと付合いたいと思っている日本女性もいますから、遠くまでお金をかけて遊びに行く必要がないのです。

観光気分で都会へ出るダンス上手のブラザーもいましたが、都会の多くのディスコは音楽が違いますし、ダンスを見れば場違いなのがわかりますから踊れないのです。それに、黒人は誰でもダンス上手と思う日本人が多いので上手さがわかってもらえないのです。

基地のクラブやダンスを知っている人の多い所では、ダンス上手が踊ると周りが見学になるので混雑していてもダンススペースが出来ます。知らない所では踊れないので早々に引き上げてしまいます。


※基地のクラブ

基地には必ずクラブがあります。当時は意図的にかはわかりませんが、白人向きと黒人向きが別れていました。音楽が違えば自然と別れますので、心配無用なのかも知れません。

クラブ・アライアンスのDJは基地関係者が多かったので、つなぎもしない途中で止まるなども良くありましたが選曲はまずまずでした。

当時の横須賀基地、左がクラブ・アライアンス

 

※マユミとヒトミ

マユミとヒトミはEMクラブのダンス上手で知られていました。

マユミはブラザーと結婚して渡米しました。ファンキージャムが米国CNNで紹介されたのをゴールデンタイムに偶然見たそうです。残念ですがその後病気で逝ってしまいました。

ヒトミはEMクラブだけでなく六本木、横浜など広く知られていました。ファッション・クリエーターでしたので"What's Up"のファッション記事を担当してもらいました。