ファンキージャム・ストーリー ニュージャック編 第6話

アンブラップダンス(ソウルダンス)の歴史

ここではアンブラップダンス(ソウルダンス)の歴史をお話しましょう。すべては戦争と関係があるのです。日本が敗戦して多くの米軍兵が来るようなりました。彼らの娯楽施設が必要だったので各地に将校、下士官、兵員(黒人)などのクラブができました。

その当時、クラブの音楽はジャズがメインだったのです。中でも最大級の横須賀EMクラブには、慰問で有名アーティストが来日して盛り上がっていたのです。

演奏の人手が足りなくて多くの日本人ジャズメンが生れ、横浜のクラブがあったから美空ひばりが生まれたと言えます。それは戦後の音楽と芸能界の基礎になったのです。

朝鮮戦争、ベトナム戦争と戦争続きで多くの兵隊が来日し、慰問活動も盛んに行われていたのです。それはダンスのための音楽が聞ける最高の場所でした。

ミッドウエイ

そしてR&Bの誕生が黒人のジャズダンスをアンブラップダンスへ進化させたのです。ベトナム戦争が終わる頃には黒人兵が増え、公民権運動などでクラブの様子も違ってきました。

アンブラップが広い場所で踊れるようになったことでダンスの流行につながりました。皮肉なことに米国本土より基地のクラブが安全な社交場だったのです。

1970年後期にはディスコの流行でクラブもDJスタイルがメインになったのです。その頃のEMクラブで人気だったのが、日本人女性DJのリサさんです。

選曲が良く、横浜元町のエルバンバのDJでしたので技術もあります。そんな環境も影響してアンブラップダンスは流行したのです。

現在、踊られているダンスのほとんどが、昔、米軍基地や周辺のクラブで踊られています。違うのは今のダンスはソウルフルではないディスコダンスなのです。

リサさん(左)とヒトミ(右)

昔からソウルダンスと無縁の社交ダンスや芸能界の人達が、見様見真似でダンスしたのがディスコダンスになりました。それがストリートに出たので幼稚化したのですが、昔を知らない若者は新しいものと思っています。

世界でもハウスなどのオカマダンサーの影響やニュージャックが体操のようになったことで、ダンスからソウルが消えてしまいました。ヒップホップとは無縁の音楽がヒップホップと思われているのと同じです。

ソウルフルでないダンスは誰が踊っても同じような運動になります。ダンスとは言えないからです。若者はダンスを画一的に派手にするほど体操のようになることをわかっていないのです。町にはダンス体操とパフォーマンスがあふれ、本物ダンスは消えつつあります。

※第7艦隊の母港

横須賀基地はNAVY(米国海軍)なので、大きな艦船が入港するとクラブも町もにぎやかになります。

ドッグインのミッドウエイ