ファンキージャム・ストーリー ニュージャック編
制作の意図
ニュージャックのダンスの話は1980年頃のディスコダンスの流行から話さなくてはいけません。なぜならこの頃からダンスが変わり始めるからです。
日本ではディスコが大流行になりましたので、ご存じの方が多いと思います。六本木ではスクエアビル10階の全フロアがディスコなどの乱立状態でした。
多くの店が経営できるほどダンスを踊りに行く人が多かったのです。数十件あったと思いますが、詳細はその頃のことを頑張って調べた人のサイトを見てください。
1960年後期の新宿も、踊れるクラブのような店が約80件位ありました。ダンス好きは新宿時代と六本木時代の名称を使い、ダンスは10年ごと流行るのきっかけにもなってます。
私は新宿時代にクラブ関係の仕事をしていましたので、その頃の詳細は最後の新宿時代編でお話しましょう。
とりあえず80年頃の六本木時代のディスコの話から始めます。この頃にファンキージャムを開校することを決めたのはクラブで踊るディスコダンスが一般的になってきたからです。