ファンキージャム・ストーリー ニュージャック編 第4話

ダンス友達

そんなジェスパでダンス上手で有名だったのが2人のヒロシとヒトミです。ヒロシは一度だけポップロックを踊っているのを見たことがあります。ソウルダンスも上手だと言われていますが見たことはありません。

しかし、その後は見たことはありません。不思議なことに、もう一人同名のポップロック上手がいました。ヒロシの弟子だとも言われてました。選別のためかポップロックのスタイルなのかは不明ですがアゴヒロシと呼ばれていました。勿論すぐに友達になりました。

ポップロック上手ですからソウルダンスはいまいちです。彼のポップロックは個性があり西海岸スタイルではないソウルフルなヒップホップスタイルでした。今、踊っているアンブラップ歌手と同じスタイルです。

その後ダンススクール開校時にインストラクターをお願いしたのですが、初歩のポップロックなので私で十分でした。彼の出番はなかったのです。

ポップロックでは、もう一人いました。その頃、アメリカでは大音量のカーオーディオで車をディスコのようにするのが流行っていたのです。私もそれほどではないのですが、車はミニディスコ状態でした。

ディスコに繰り出す時間待ちに、ウィーナースでレコードチェックをしていたのですが、店の前で良く会うブラザーがいました。店の前に車を止めると寄ってきてボリュームを上げろと言うのです。と言うより、しぐさで指示するのです。そして踊るのがエレクトリックブギです。

そして目立っていたのがムーンウォークでした。マイケル・ジャクソンのムーンウォークではないですよ。そんなのはすでに私やダンス好きがやってましたし、マイケルの発表は1983年になってです。1980年頃に知っていた人達には興味はありません。

彼のは宇宙遊泳のような歩き方なのです。彼はムーンウォークと言っていました。ちなみにマイケルのはバックスライドでムーンウォークではありません。

ムーンウォークは当時お笑い芸人が似たようなことしていたのですが、それとはまったく違い完全な宇宙遊泳なのです。確かブライアンと言う名前だったと思います。1981年のファンキージャムの開校パーティーに来てもらい踊ってもらいました。その後、会えなくなり、やり方は今でもわかりません。

それを最近、テレビのニュース番組で見ました。身体の柔らかさを使ってダンスをする人の紹介でした。あれはかなり難しいのでしょう。沢山ダンスを見ましたが2人だけです。それらしいことはできても完璧にやるのはかなり身体能力が必要です。

そう言えばやせているのにバネのような身体だったのを覚えています。エレクトリックブギは身体能力と個性が必要と常に感じます。だから子供の体が有利なのでしょう。

最近はポップロックにマジック要素や体操など、映像まで混ぜパフォーマンスするような人もいますが、やっていることは簡単な動きで、そんな人はダンサーとは言えません。真剣にダンスと取り組む人に失礼だと思います。


※ムーンウォーク(バックスライド)

やり方がわかればその日の内にできるようになる。バックスライド。

踊りにするには前や横へ自由に動けるようにしなくてはいけない。1983年には自由に移動できるレッスンをしていた。1985年制作のブレイクダンスのビデオで前や横の移動方法を紹介している。

簡単な動きだが、曲げた足に負担がかかるのでレッスンが必要。1969年に初めて見たポップロックからの動きで、1980年頃にはニューヨークのエレクトリックブギの影響から日本のクラブですでに知られていた。

当時、クラブでやっても照明や見る角度などの影響で、一般人には何をやっているかがわからなかった。マイケルのように音響と見せる工夫が必要だった。

ムーンウォークの名称は1983年のマイケルの発表から使われるようになった。どう見てもムーンウォーク(宇宙遊泳)には見えない。マスコミ等で有名になった名称は意味不明のものが多い。

 

※六本木のディスコ・ジェスパ

六本木のディスコ・ジェスパはブラックミュージックと言うよりダンスミュージックのメッカでした。お客もアンブラックが多くダンス好きが集まっていました。ダンスを踊りたくなるような曲を目一杯かけていました。

ソウルミュージックは何でもダンス向きと言うものではありません。一般のディスコ向きや歌詞や抑揚に力をいれすぎてダンス向きでないのもあります。

ソウルの曲でも曲調がつまらないと乗れません。逆にソウルでなくても曲調が良くてダンス向きも稀にあります。

歌手は聴いてもらわないと仕事になりません。人気がでるほどダンス向きの曲は減ります。それにダンス向きの歌手のアルバムでも踊りたくなるような曲は1、2曲が普通です。ダンス好きは曲を選ぶのであって歌手を選んではいないのです。